ふるさと石垣島で確かな皮膚科医療を
私は石垣島で幼少期より育ち、地元の登野城小学校、石垣第二中学校を卒業しました。熊本県にある高校を卒業後、石垣島の医師不足を案じたの祖父の強い勧めもあって、医師を目指すため神奈川県にある医大に進学しました。医学生の時に先天性の奇形や熱傷、交通外傷、ガンなどで失った身体の一部を修復、再建していく形成外科に興味を持ったため、卒業後は医局や関連病院で約3年間、形成外科の技術を学びました。医師としてのキャリアの途中で結婚、出産、育児などのライフイベントがあり、約6年のブランクがありましたが、再び医師として働きたいという想いが募り、札幌に移転した際に皮膚科医として復帰することにしました。
その時は北海道大学に勤務する夫の勧めにより、同大学の皮膚科に入局しましたが、大学病院での勤務は薄給ながら非常に激務で休日はほとんどなく、家族を残して一人で地方に単身赴任することもあり、大変過酷な労働環境でした。そんな働き方を数年間続けて、仕事も家庭も両立できなくなり困っていた時に、ご縁があって札幌皮膚科クリニックで働かせていただくことになりました。全国初の皮膚科の往診車を備えた部署で多くの介護施設の往診をしながら、今後の人生について漠然と考えていたところ、同クリニックの理事長であった浅沼廣幸先生に地元に戻って開業することをご提案していただきました。
当初、私の中では医師としては勤務医で終わるつもりだったため、自分が開業することは全く頭にありませんでしたが、その提案を受けてからは故郷の石垣島のことを度々、思い出すようになりました。私が子供の頃の石垣島には皮膚科がなく、学校には指にイボがある子やニキビで悩む子、疥癬(ダニが皮膚に寄生して起こる疾患)の子たちが数多くいましたが、そんな状況でも皮膚の病気は病気として認識されていませんでした。時代は変わり当時とは状況が異なっていましたが、未だに医師不足が叫ばれている石垣島の地域医療や、医師になることを勧めてくれた祖父の想いを考えると、皮膚科医として少しでも地元に貢献したいという気持ちが芽生えてきました。私は長年住み慣れた北海道を離れる決意をし、故郷の石垣島に戻り、地域の皮膚科医療を充実させるべく開業することにしました。それから約1年間の準備期間を経て、平成19年に皮膚科「愛島クリニック」を開院するに至りました。
開院から10周年目を迎えた今年、私の体調不良により一時休院を余儀なくされ、ご利用の患者様には大変ご迷惑をおかけしましたが、多くの方々のご声援を受け、再開を果たすことができました。10年間様々なことがありましたが、今日まで診療を続けてくることができましたのも、偏に皆さまの温かいご支援があったからこそだと存じております。今後とも「愛島クリニック」を末永くご愛顧賜りますようお願い申し上げます。
平成30年2月吉日
医療法人 愛ランド
理事長・院長 木村 久美子
1986年 | 聖マリアンナ医科大学医学部卒業 |
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1986年 | 同大学形成外科教室入局 |
1987年 | 聖隷浜松病院形成外科医員 |
1989年 | 琉球大学皮膚科学教室医員 |
1997年 | 北海道大学皮膚科学教室入局 |
1998年 | 国立札幌病院(現、北海道がんセンター)皮膚科医員 |
2000年 | 日鋼記念病院皮膚科科長 |
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2003年 | 北海道大学病院皮膚外科副部長 |
2004年 | 医療法人社団廣仁会 札幌皮膚科クリニック勤務医 |
2007年 | 愛島クリニック院長 |
2011年 | 医療法人愛ランド理事長 現在に至る |
MISSION使 命
VISION目 標
VALUE価値観
affection | 患者さまに愛を持って接する。 |
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innovation | 新たな医療サービスを創造する。 |
leadership | 全職員がリーダーシップを発揮する。 |
appreciate | 関わるすべての人へ感謝する。 |
necessity | 地域社会に貢献して必要とされる。 |
development | 事業が持続可能な発展を遂げる。 |